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神戸地方裁判所尼崎支部 平成4年(わ)105号 判決

主文

被告人を懲役一〇月に処する。

未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成四年一月七日、滋賀県守山市石田町三三五番地守山市民球場北側の便所において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤約0.02グラムを水に溶かして自己の身体に注射し、もって覚せい剤を使用したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(争点に対する判断)

第一  弁護人は、本件における被告人からの採尿は、警察官らによる職務質問に籍口した令状なき逮捕、強制連行、尼崎中央署取調室における厳重な監視のもとにおける監禁と、執拗な暴行脅迫の結果によるものであり、その間妻との面会も許されず、弁護人との連絡も妨害されているのであって、右違法の程度は令状主義の精神を没却するような重大なものであるから、本件の尿に関する鑑定書は、これを証拠として許容することが将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められるときは、鑑定書の証拠能力が否定されるべきであるとする最高裁判所判例に従い、その証拠能力を否定すべきであり、したがって被告人は無罪であると主張する。

第二  そこで、本件の採尿経過について、被告人の公判供述、被告人作成の「若松先生へ」という書き出しで始まる書面(以下、「弁一号書面」という)及び証人(被告人の妻)花子の証言と、これと内容的に対立する関係にある証人(いずれも本件に関与した警察官)郡徳実、高崎晃一、山村準一及び米田昌平の各証言により検討するに、まず、その時間的な経過を概括的にみると、

一  平成四年一月九日午後九時二五分ころ、兵庫県警察本部通信指令課から無線連絡により、尼崎市神田南通若しくは中通の喫茶店で若い男三人組による強盗事件が発生し、犯人は白っぽい乗用車で逃走した旨の緊急配備指令が出され、兵庫県警察本部地域部自動車警邏隊に属する郡証人と古川巡査、同じく高崎証人と安井巡査部長が、それぞれ乗務するパトカー等が、付近の警邏に当たった。そして午後一〇時三〇分前後ころ、高崎証人の乗務するパトカーが警邏中、神田南通三丁目のそば屋付近で、右手配に該当すると疑われる白っぽい乗用車を認め、高崎、安井の警察官両名において、車の中にいた若い男二人(後に被告人及び野々村保樹と判明)に職務質問したところ、その車が無車検無保険であること、及び、無線照会により、被告人については覚せい剤事犯の前歴のあることが判明し、更に、もう一人がそば屋で食事中ということで、安井巡査部長が無線で近くのパトカーに応援を要請するかたわら、高崎証人がそば屋に入り、食事を終わった男(後に密山久と判明)に職務質問して車のところまで同行を求め、更に三名に対し職務質問を続行しようとしたが、その時点までに応援に来た郡証人らが乗務するパトカーを含め合計五台のパトカーが集まり、また当日その近くで祭りがあって人出も多く、道幅も狭いので、その場で職務質問することは本人らにも不利であり、交通の妨害にもなるので、任意同行するよう指示を受け、被告人ら三名を尼崎中央警察署まで任意同行することとなった。なお、被告人については、覚せい剤事犯の前歴があることから、職務質問の際、高崎証人において、被告人に対し尿を提出して貰いたい旨告げ、その点も併せて任意同行することとなった。

二  被告人らを任意同行するためパトカーに分乗させた前後ころ、被告人の携帯電話に被告人の妻から電話が入ったが、すぐ切れたので、被告人はパトカーを降りて、近くの公衆電話から妻に電話し、尼崎中央警察署に連れて行かれる旨を伝えた。その後、被告人は、再び高崎証人が運転するパトカーに乗せられて、尼崎中央警察署に向かった。他方、郡証人が乗務するパトカーには、密山が乗せられた。

このようにして、被告人らは任意同行されたのであるが、この間、被告人らにおいて、いずれも内心では意にそわないものであったとしても、少なくとも外見上は、逃走を企てたり、烈しく抵抗したりした形跡は認められない。

三  同日午後一一時すぎころ、被告人らが分乗したパトカーが尼崎中央署に着き、そこで被告人らは、三階の保安課にある別々の調べ室で、所持品を任意に提出して検査を受けた。その結果、密山及び野々村の両名の各所持品から覚せい剤が発見され、密山については、翌一〇日午前零時ころ、野々村については同日午前一時四七分ころ、それぞれ覚せい剤所持の現行犯人として逮捕された。被告人は、同保安課一号調べ室で午前四時ころまで、郡証人の事情聴取を受けるなどし、その間に郡証人らから尿を出すように言われたが、尿が出ず、最終的に尿を出すまでの経緯については後に更に触れることとするが、結局午前六時五一分に至って尿を出し、司法巡査においてこれを領置した。

四  ここで、この一月一〇日深夜から翌一一日早朝までの尼崎中央署における本件の捜査態勢について、前出証拠により検討するに、本件は、右に述べたように、自動車警邏隊員による職務質問、任意同行に端を発したもので、尼崎中央署に到着してからは、自動車警邏隊員に、同夜宿直勤務をしていた同署保安課保安係の山村証人、その後、非番で自宅にいたところ応援要請を受けて、一一日午前零時四五分ころ出て来た同署同課同係の米田証人が加わって、被告人らの所持品検査、それに続く密山及び野々村の両名の逮捕取調、証拠品整理等に、手分けして従事していたものであるが、これについて誰が指揮をとるというのでもなく、お互いの情報交換や連絡も不徹底で、指揮命令系統は混乱していた。被告人に対する事情聴取や尿提出の説得は一号調べ室で、専ら自動車警邏隊員である郡証人が当たっていた(なお、その間に、被告人は自己の携帯電話で自宅に電話したが、被告人の妻は不在であった)。

五  このような状況経過中に、被告人の妻花子が、午前一時半ころ尼崎中央署に来て、受付の人に対し、夫に会わせてくれるように言ったところ、調べ中で朝までかかるのではないかといわれ、しばらく待ってから一旦近くの喫茶店に行って、午前二時一五分すぎころ尼崎中央署に帰り、受付の人に頼んで保安課の人を呼んでもらったが、調べ中で会わせられない、ここで待たれたら困るというようなことをいわれ、右花子は待つのを諦めて、午前二時半ころ尼崎中央署を出たということがあった。

六  概略、以上のような時間的な経過で、前記のとおり、午前六時五一分に被告人が尿を提出するに至ったことが認められる。

第三  そこで、以上の時間的経過中に、弁護人が指摘するような職務質問に籍口した令状なき逮捕、強制連行、尼崎中央署における厳重な監視下における監禁、執拗な暴行脅迫に当たる事実が存したかどうかなどの点について、更に検討すると、これらの点に該当するような事実があったという被告人作成の弁一号書面の記載や、当公判廷における供述中には、同時に、前後矛盾し合理的に首肯し難い点が散見されるのであって、たとえば、まずパトカーに乗せられた際のことについて、被告人が一旦乗車した後、公衆電話で妻に電話するため降りて再び乗車したことは、前示認定のとおり争いもないところであるが、二回目に乗車した際のことはさておき、一回目にパトカーに乗車した際の状況について、被告人は第六回公判において、「一回目にパトカーに乗った時、弁一号書面にA警察官と記載してある高崎警察官に、同書面に記載しているようにパトカーに押し込められた、手持たれたりしたら振り払ったり、押されながら無理やり出ようとしたり、というような抵抗を試みたが押し込められた、抵抗したらワッパはめるとも言われた」などと述べながら、第七回公判においては、「とりあえず、ちょっと乗ってくれと言われ、赤切符のことで何かあかんのかなと思ってとりあえず乗った。別に逃げ出そうとしたり、嫌やとか言ったりしてない」と述べ、更にその点について、弁護人の「最初パトカーに乗った時、素直に乗ったのか」という確認的質問に対しては、「なんで乗らなあかんのや、という口答え程度のことはしている」旨、それ以上の抵抗を試みたことはないととれる供述をしているのである。また、尼崎中央署の取り調べ室で、胸倉を掴まれて持ち上げるなどされたという点について、弁一号書面では、「米田という刑事にされた」旨の記載があるのに、第六回公判では、「三回位されたが、誰がそういうことをしたか、三人とも違う人だったので覚えていない」と述べ、更に、既に証人として取調済みである高崎警察官にされたことはあるかとの問いに対して、「いや、あの人にはされていません」と述べながら、第七回公判では、「高崎警察官に胸倉を持ち上げられたり、腕を掴んで振り回されたりしたことがあった」と述べるなど、前後矛盾も甚だしい供述をしているのである。加えて、法三二八条により取り調べた被告人の検察官に対する各供述調書中の採尿経過に関する記載部分について、被告人は、第一〇回公判において、「検察官の想像による誘導である」旨述べながら、「採尿の点に関する警察の供述調書記載に合わせるよう山村警察官に言われた」とも述べ、その点に関する警察の供述調書はないのではないかと質されるや、それを肯定したうえ、「山村警察官から、パトカーに素直に乗ったし、尿も任意に出したと言わなければ、どつくぞ、と言われた」と供述を変えているのであるが、これらの供述を検察官に対する各供述調書の採尿経過に関する記載部分と対比検討すれば、右記載部分は、当時の警察の混乱状況をはじめ、具体的詳細で臨場感にあふれ自然であって、検察官の想像に基づく誘導によるものとは到底見受けられないのみならず、山村警察官から僅かな示唆を受けただけで、そのような具体的詳細な状況を述べられるといったものでもないことが明らかであり、そうすると、検察官に対する各供述調書中の右記載部分の作成経過に関しては、被告人が、公判において、場当たり的な供述をしているものといわなければならない。その他、あるいは勘違いといえるとしても、前記のとおり、既に証人として取調済みである高崎警察官がパトカーに押し込み、後部座席に乗って来たといったり、それは高崎警察官ではなかったかも知れないといったりし、以上に見て来たように、弁一号証の記載や被告人の公判供述は、総体的に、同一人の供述とは思えない程、前後矛盾し合理的に首肯し難い点が散見され、また、法三二八条により取り調べた前記検察官に対する各供述調書記載とも対照し、いささか信用性に乏しいものといわなければならない。

これに対し、被告人自身も公判供述で誠実な人であると認める証人郡徳実の公判供述は、その内容もごく自然で矛盾するところがなく、合理的であり、これを中心として、高崎晃一、山村準一及び米田昌平の各公判供述は、相互にほぼ符合し、僅かに、たとえば郡証人は、一号調べ室で被告人と同室していた間、他の警察官が入って来て五、六分以上もいたことはなかったと証言し、他方、米田証人は、一号調べ室に五分か一〇分位いて、被告人から人定事項を聞いたり、尿を出すよういったりしたと証言しているなど、齟齬している点も見られるが、多数関係者の混乱した状況下における過去の記憶に基づく供述間に、若干の齟齬が生じるのは、むしろ自然であって、その信用性を失わしめる程のものではないとみられるのみならず、かえって、本件捜査に従事した警察官である証人らが口裏を合わせるといったことをしていないことを窺わせるのであって、これらの各公判供述は、弁一号証の記載や被告人の公判供述に比し、信用性が高いものといわなければならない。

そうすると、これら信用できる証人郡徳実らの各公判供述によれば、本件の採尿の経過において、弁護人が指摘するような警察官らによる暴行、脅迫、監禁、強制等、令状主義の精神を没却する程の重大な違法な行為はなかったものと認めるのが相当である。

この点を若干敷延すると、これらの関係証拠を総合すれば、被告人に対する本件の職務質問、任意同行について、これを違法とすべき点は見出し難く、また、尼崎中央署の一号調べ室における郡証人による午前零時すぎから同四時ころまでの事情聴取や、覚せい剤をやってないのなら尿を出すようにとの説得なども、世間話をまじえながら、終始穏やかに進められ、その間に、被告人はお茶やジュース、コーヒーなどを飲んだりし、午前四時ころになって、尿がまだ出ない、車もなく、電車やバスもまだ動いていないという話になって(注―被告人は当時滋賀県守山市に居住しており、尼崎まで乗車して来た自動車は、前記のとおり無保険、無車検であった)、暫く休むことになり、被告人を一人置いて、郡証人は、ドアを開放した同室外の少し離れた同室の様子が見える机で執務していたところ、被告人が尿を出すと郡証人に声をかけたので、被告人をトイレに連れて行き、午前六時五一分に被告人が自らポリ容器に排尿して、尿を採取したが、以上の経過の間に、他の警察官らは、覚せい剤所持で現行犯逮捕した密山及び野々村に関する多数の証拠品の整理や関係書類の作成などの処理に追われて、署内は混乱し、被告人のいる一号調べ室に出入りする余裕は、ほとんどなかったと認められ、したがって、被告人が弁一号証や公判供述で述べるような警察官らによる暴行、脅迫、監禁、強制等を加えるようなことは考えられず、また、弁護人との連絡を妨害したとの点についても、被告人が弁一号証で、弁護人の事務所の電話番号を示して弁護人への連絡を頼んだのはA警察官である、として指摘する高崎証人は、尼崎中央署に着いてから被告人とは接触してなく、電話連絡を頼まれるようなことはなかったというところ(なお、郡証人も、そのようなことはなかったと述べている)、たとえ、そうではなく、被告人がいうように、警察官に弁護人への連絡を頼んだということが真実であったとしても(また、事務所の電話番号を示したということも真実であるとしても)、深夜だから明日の朝でないと無理だと警察官が応答したというのは、常識的であって、それ程非難されるべきではなく、それで被告人も一応納得しているのであるから、これを目して弁護人への連絡を妨害したというのは穏当でない。

もっとも、被告人からの電話連絡を受けて尼崎中央署に来訪した被告人の妻が、結局被告人と面会出来なかったのは事実であるが、これとても、警察官らが、これを積極的に妨害したというのではなく、米田証人が率直に認めるように、同証人の公判供述によれば、被告人の妻が来訪しているとの受付からの電話は、同証人がとったが、前示のように、署内は指揮命令系統も混乱している状況であり、誰に報告したり、あるいは相談したりということもなく、密山や野々村の証拠品が多く、逮捕直後で関係書類のことなどいろいろあり、これらにつき被告人にも事情を聴かなければならないという自分の判断で、一段落するまで待って貰おうと思って、とりあえず待って下さいと連絡して置いたところ、その後多忙に紛れて失念しているうちに、そう長い時間ではなかったと思うが、被告人の妻が帰ったという電話が入った、決して会わせないというつもりではなかった、というのであって、この点は、右事情からすれば、警察側の手落ちとして非難さるべきことであるとしても、あくまで意図的に会わせなかったというのではなく、これを重大な違法というには当たらないと認められる。

第四 以上認定したところによれば、本件採尿の経過が相当長時間にわたり、その間、被告人が尼崎中央署に事実上留め置かれるような結果となったことは否めないとしても、それは、なんら警察官らの強制等によるものではなく、郡証人による、世間話をまじえながらの、穏やかな事情聴取とか尿を出すようにとの説得や、被告人自身がなかなか尿意を催さなかったという事情、更には、その後、当時の署内の混乱した状況から、被告人が、なかば放置されていたという事情などによるもので、米田証人の失念により被告人の妻との面会が出来なかったという前記の警察側の手落ちはあるにせよ、その経過において、「違法の程度が令状主義の精神を没却するような重大なものであり、本件尿の鑑定書を証拠として許容することが将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる」ような違法な捜査と目すべき事実は、結局なかったものと認めるのが相当であり、したがって、証拠能力が認められる本件尿の鑑定書を補強証拠とし、被告人の自白と相俟って、前掲各証拠を総合すれば、本件公訴事実を優に認定することが出来るから、被告人は無罪であるとの弁護人の前記主張は採用出来ない。

(法令の適用)

判示所為

平成三年法律第九三号附則三項により同法による改正前の覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条

未決算入

刑法二一条

訴訟費用

刑事訴訟法一八一条一項本文よって主文のとおり判決する。

(裁判官佐々木條吉)

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